名古屋工業大学パンフレット
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14トルコで被災した子どもたちと住みたい家について対話加藤 唯さん 大学院工学研究科工学専攻社会工学系プログラム      (博士前期課程�年)トルコ・アンタキヤ市の被災地に�棟のインスタントハウスを寄贈 インスタントハウスの開発を始めたのは����年。きっかけは東日本大震災の被災地の避難所を訪れたときでした。それまでの私は、美しくかっこいい建築物を実現したくて、自分の設計のスキルとセンスを磨くことに懸命になっていたのですが、ここで出会った小学生のふたりの男の子が、私の人生を���度変えてくれたのです。 私は避難所になっていた石巻中学校の体育館を訪れました。見学を終えて帰ろうとしたその時、ふたりの小学生が私の手を引き、グラウンドが見える場所まで連れていき、「あそこに仮設住宅が建つのに、なんで�カ月から�カ月かかるの?大学の先生 インスタントハウスは、仮設住宅だけでなくグランピング用の施設としても注目され、北海道から九州、沖縄まで日本各地に建つようになりました。売上げも順調に伸び、「私の収益は寄付する」という開発当初からの決め事をようやく実行できるようになった矢先の����年�月にトルコ・シリア大地震が起きました。 以前に本学の高度防災工学研究センターのメンバーとしてフィリピン・ボホール島の支援をした経験がありましたので、その時の人と人のネットワークを活かしてJICA(国際協力機構)のトルコ事務局に連絡を取り、現地の政府や企業や大学に繋いでいただきました。�月中旬に被災地へ入り、現地の知事や市長とも打合せ、省庁、NGO、企業や名工大からの支援も受け、翌月には、被害の大きかったトルコとシリアの国境に近いアンタキヤ市に大小�棟のインスタントハウスを建てて寄贈しました。だったら来週建ててよ!」と悲痛な表情で訴えました。まるで時間が止まったように、私はその場に立ち尽くしていました。 翌日、名古屋への飛行機の中でも子ども達の言葉が頭から離れず、自然と涙が頬を伝う中、今までの自分を振り返りました。思い起こせば、学生の頃から、世界中の美しい建築や都市を実際に体感すべく旅する中で、それらよりも、空港や駅に降り立つと手を差し伸べてきた幼い子ども達のことが気になって仕方なかった。もう一度原点に帰って、あの子ども達の想いに応えよう。その時の決意がインスタントハウスの実現につながったのです。 現場での作業に参加した方、屋内を見学した避難者からは、「こんなに早くできるのか」「外は��度以上あるのに中はとても涼しい」などの感想をいただきました。特に嬉しかったのは「心が安らぐ」という感想でした。オスマントルコのモスクの形状に似ていて、天井が高く円い形状は、やはり人にとって心地良いのです。これらの成果により、急速に国外での評価が高まり、世界中の被災地にインスタントハウスを続々と寄贈していく運びとなりました。 今後は、インスタントハウスの原価をもっと下げ、より多くの人々に満足した家を提供していきます。また、食品工場で廃棄されるフードロスにあるでんぷん系素材などをインスタントハウスの材料に使うことで、環境負荷ゼロの家とする研究、ナメクジの生態を活かした外壁の洗浄やコーティングの研究、古民家の断熱耐震補強とする研究などを進めています。これからも従来の常識を逆照射しつつ、新しい建物のカタチを模索していきます。名古屋工業大学レポート ����特 集NITech voice教授は教授、学生は学生の研究で個性を伸ばしてくれる研究室です 私はもともと構造に興味があり、地震や津波に耐える家を実現したいという想いから建築の道に進みました。インスタントハウスという発想はとても興味深く、研究段階から間近で現物を見られることで多くの学びがあります。私が取り組んでいるのは、その土地の気候や文化、伝統など、地域性を活かした住宅設計の確立です。北川啓介研究室では、個々の学生の研究や夢を最大限に尊重していただけるので、個性や独立心を高め、常に前向きな気持ちで研究に挑む毎日を過ごしています。「大学の先生なら来週建ててよ」被災地の小学生の悲痛な訴えがきっかけにトルコ・シリア大地震の被災地にインスタントハウスを寄贈フードロスによる建築断熱材など新たな研究テーマも

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