国立大学法人名古屋工業大学

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大学紹介

本学のあゆみ

創設の経緯

名古屋高等工業学校
名古屋高等工業学校

名古屋工業大学の歴史は、1905年(明治38年)に前身である名古屋高等工業学校が設置されたことから始まります。当時、国内には工業発展の機運が高まりつつあり、工業教育を受けた人材が必要となっていました。そこで、既設の東京、大阪、京都に次ぎ、第4の高等工業学校として、愛知県に初めての官立高等教育機関が誕生しました。

牧野伸顕文部大臣(当時)は、開学に際して、「当地が経済上の中心として勢力を得るには、教育ある人物を実業界において用いなければならない。(中略)当地が単に尾張の名古屋たるに留まらず、進んで日本の名古屋となり、さらに一歩を進めて世界の名古屋たるべく発達することを望む。」との言葉を残しており、名古屋高等工業学校及び陶器、紡績、織物といった当時の主要産業が芽生え始めている中京地域に強い期待があったことが窺えます。

そうした社会からの期待に応えるように、当初は、土木、機械、建築、機織、色染の5学科で始まった教育研究も、その後の名古屋を含む中京地域の発展とともに分野を拡充していくこととなりました。

新制大学としての出発

創立記念碑(空襲を逃れた旧ボイラー室側壁)
創立記念碑(空襲を逃れた旧ボイラー室側壁)

清水初代学長
清水初代学長

太平洋戦争の開戦及び戦局の悪化に伴う戦時非常体制の強化を図るため、1944年(昭和19年)に、名古屋高等工業学校は、名古屋工業専門学校と改称されました。翌年には大規模な空襲により、残念ながら本館を含めたほぼ全ての建物が灰燼に帰することとなりました。

終戦後、各高等教育機関は、新しい学制の理念に基づいた再編を求められました。旧制の高等教育機関は、大学、大学予科、高等学校、専門学校、各種師範学校と様々な形態に分かれていましたが、すべて“新制の大学”に改編されることになったのです。

名古屋工業専門学校は単独での大学昇格を目指したものの、一府県一国立大学の方針が示されており、戦災による被害も著しかったことから、それは非常に困難なものでした。しかし、新制大学となった後も、「産業界の要望する活きた問題をとらえ、解決するために学術の根を深くおろす」ことができるよう、総合大学に組み込まれるのではなく、愛知県立工業専門学校と手を取り合うことで、新制名古屋工業大学に生まれ変わる道を選びました。

初代学長の清水勤二は、名古屋工業大学学報の創刊号にて、「本学は数多き大学のうち、わずか四指を屈する単科の工業大学であって、おのずから他の総合または連合の大学と異る特色を持たなければならぬ。その一つは、教育においても研究においても、従来の大学のごとく孤高におちいらず、産業界または実際技術家と緊密な連携をし、できるならば融合一体化して、活きた教育、活きた研究をすることである。」との言葉を寄せており、今日まで続く工業単科大学としての本学の存在意義を示しています。

大学憲章の制定とこれから

本学のビジョン
本学のビジョン
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名古屋工業大学では、創設以来のこれまでの経緯及び本学が有する使命を改めて明らかにするため、2012年(平成24年)に名古屋工業大学憲章を制定しました。

また、 第4期中期目標期間(2022~2027年度(令和4~9年度))が始まることに伴い、 2021年(令和3年度)には、憲章の理念も踏まえつつ、新たに本学のビジョンを策定しています。

今日の社会的な課題は、地球規模となり、また多様化、複雑化しています。これらの課題は、もはや単独の大学や研究機関において解決できるものではなく、また単一の学術分野の知見のみでも解決しきれるものではありません。したがって、我々は、憲章やビジョンに示すように、従来の工学の枠組みに囚われることなく、ステークホルダーの皆様とともに工学が本来有する無限の可能性を信じ、これからも新たな価値の創造に挑戦してまいります。

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