「遅い」のに高効率な情報処理技術を開発~生体神経組織の動作を模倣した低消費電力なトランジスタの動作実証に成功~
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カテゴリ:プレスリリース|2024年11月28日掲載
産業技術総合研究所/科学技術振興機構(JST)/東京大学/九州大学/兵庫県立大学/名古屋工業大学
発表のポイント
- 〇 固体中のイオンの動き制御により生体神経組織の動作を模倣できる低消費電力な素子を実証
- 〇 ゆっくりとした素子動作でありながら高効率な情報処理を実現できることを明らかに
- 〇 非常に小さな電力で動作するエッジデバイスへの活用に期待
開発した生体神経組織の動作を模倣するトランジスタ
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
概要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)電子光基礎技術研究部門 強相関エレクトロニクスグループ、井上 悠 研究員、井上 公 上級主任研究員と、国立大学法人 東京大学、国立大学法人 九州大学、兵庫県公立大学法人 兵庫県立大学、国立大学法人 名古屋工業大学は共同で、生体神経組織の動作を模倣する低消費電力なトランジスタの動作実証に成功しました。
下線部は【用語解説】参照
開発の社会的背景
近年、生成AIなど、大規模計算、クラウド型の情報処理が注目される中、誰もがどこでも利用できて、安全が保障された情報社会の実現には、エッジデバイスでも十分に動作できる低消費電力・高効率な情報処理能力が必要です。MOSトランジスタは高速動作に適しているため、情報処理素子として広く利用されています。これまではMOSトランジスタの微細化により、省電力化と小型化の開発が続けられてきました。
研究の経緯
産総研は、機能性材料の分野において、物質中で起こるさまざまな物理現象を素子として応用することを目指しており、特に酸化物材料の作製技術や評価技術、素子化技術を開発してきました。今回、これらの技術を応用することで、生体神経組織の動作を模倣するトランジスタの動作実証に成功しました。
なお、本研究開発は、国立研究開発法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業 CREST 「スパイキングネットによるエッジでのリアルタイム学習基盤(2019~2024年度、JPMJCR19K2)」による支援を受けています。
研究の内容
生体神経組織は、リーク積分と呼ばれる振る舞いで、外部から入力されるパルス状の信号を内部でゆっくりと時間変化する信号に変換します。図1(a)にリーク積分動作の概念図を示します。パルス信号が入力されるたびに、膜電位と呼ばれる内部変数がゆっくりと上昇していきます。パルス信号が来ないときは、膜電位は徐々に減少していきます。
図1 (a)生体神経組織のリーク積分動作。(b)従来のリーク積分動作の実装方法。
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
図2(a)に今回動作実証を行ったトランジスタの模式図を示します。酸化物半導体である、チタン酸ストロンチウムをチャネルとした、MOSトランジスタです。ゲート電極(G)に印加した電圧に応じて、ソース電極(S、電子の湧き出し口)とドレイン電極(D、電子の吸い込み口)の間を流れる電流(ドレイン電極からソース電極へと流れる)が変化します。従来のトランジスタと異なり、チャネル部分に酸化物半導体を用いているので、素子中に存在する酸素欠損イオンを素子動作に利用することができます。
図2 開発したリーク積分動作を模倣するトランジスタと動作メカニズム。
(a)今回動作実証を行ったトランジスタの模式図。
(b)ゲート電極(G)に電場を印加したときの酸素欠損イオン分布の有限要素法による解析結果。
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
図3に、実際の電流波形の測定結果を示します。速いパルス(入力周波数の増加時)を入力したときは、出力される電流の振幅が徐々に増加していきます。一方で、遅いパルス(入力周波数の減少時)を入力したときは、出力される電流の振幅が徐々に減少していきます。このように、入力されるパルスに応じて電流の振幅がゆっくりと変化する「リーク積分動作」の実現に成功しました。周波数依存性の解析から、この素子は生体神経と同等程度の長い時定数を持つことがわかりました。この時の消費電力は500 pWと非常に小さく、酸素欠損イオンを制御することで高効率なリーク積分動作が実現できることを示しました。素子の書き込みと読み出しを独立に行うなど、回路への実装方法を工夫することで、さらなる低消費電力化が期待できます。
図3 開発したリーク積分動作を模倣するトランジスタの出力波形。
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
今回動作実証を行ったリーク積分トランジスタは、人工的に生体神経系の動作を模倣したニューラルネットワークの構築に適しています。ニューラルネットワークでは例えば、AさんとBさんが書いた図形の筆跡から、それを誰が書いたものかを当てる、「筆跡の異常検知」を行うことができます(図4(a))。開発した素子を想定したシミュレーションで、筆跡の異常検知の検証実験を行った結果を図4(b)に示します。ここではランダムに接続された256個のニューロンとシナプスからなるニューラルネットワークを想定して、リザバー計算という枠組みで学習と推論を行っています。ニューロンは生体ニューロンのリーク積分発火を、シナプスは生体シナプスの振る舞いをプログラムでエミュレートしています。ニューロンとシナプスの動作には、素子の時定数を用いています。Aさんが書いた三角形の筆跡を学習させた上で、BさんとAさんの筆跡を入力すると、Bさんの筆跡を入力したときだけ「他人とみなせる度合」が大きくなり、筆跡の異常検知が成功していることがわかります。しかし、開発した素子より10万倍速い素子を想定したシミュレーションでは、筆跡の異常検知は失敗します。このシミュレーション結果は、筆跡の異常検知には、過去のペンの位置や図形を描く速度など、過去に関する情報が必要ですが、ゆっくりと動作する素子ほど、長期間にわたって情報を保持しておくことが可能であるためと解釈できます。このように、ヒトと相互作用するような情報を処理するニューラルネットワークでは、素子の遅さが動作に重要な役割を果たすことを示しました。
図4 ニューラルネットワークを利用した筆跡の異常検知のシミュレーション。
(a)筆跡の異常検知の概念図。(b)開発した素子を想定したシミュレーションで、筆跡の異常検知の検証実験を行った結果。
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
今後の予定
開発したトランジスタを用いたニューラルネットワークの構築により、小さな電力でも動作する、エッジデバイス向けの情報処理基盤の構築を実施します。例えば環境発電でも十分に動作できるウェアラブルデバイスなどを開発します。
発表者・研究者等情報
- 産業技術総合研究所 電子光基礎技術研究部門 強相関エレクトロニクスグループ
井上 悠 研究員
井上 公 上級主任研究員
鬼頭 愛 テクニカルスタッフ
- 東京大学
- 国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
- 田村 浩人 特任研究員(研究当時)
- 大学院工学系研究科 附属システムデザイン研究センター
- 飯塚 哲也 准教授
- ビャムバドルジ ゾルボー 助教
- チェン シャンユ 特任研究員(研究当時)
- 九州大学 システム情報科学研究院 情報エレクトロニクス部門
- 矢嶋 赳彬 准教授
- 兵庫県立大学 大学院工学研究科 電気物性工学専攻
- 堀田 育志 教授
- 名古屋工業大学 情報工学類
- (兼 東京大学 国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 連携研究員(研究当時))
- 田中 剛平 教授
論文情報
- 掲載誌:Advanced Materials
- 論文タイトル:Taming Prolonged Ionic Drift-Diffusion Dynamics for Brain-Inspired Computation
- 著者:Hisashi Inoue, Hiroto Tamura, Ai Kitoh, Xiangyu Chen, Zolboo Byambadorj, Takeaki Yajima, Yasushi Hotta, Tetsuya Iizuka, Gouhei Tanaka, Isao H. Inoue
- DOI:10.1002/adma.202407326
- URL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/adma.202407326
用語解説
- 生体神経組織
- 生体で情報伝達や判断、筋肉を動かす機能などを担う組織の総称。代表的なものにニューロンと呼ばれる細胞があり、これらの組織が複雑なネットワークを構成することで生体のさまざまな機能を担う。
- トランジスタ
- 外部から入力した電圧や電流に応じて、素子を流れる電流を制御するスイッチング素子。パーソナルコンピューターやスマートフォンなどに含まれる中央情報処理装置はトランジスタを最小構成要素として構成されている。
- MOSトランジスタ、ソース電極、ドレイン電極、ゲート電極
- Metal Oxide Semiconductorトランジスタの略称で、トランジスタのうち、金属、酸化物絶縁体、半導体で構成されるものの総称。半導体として一般的にはシリコンが用いられる。ソース電極、ドレイン電極、ゲート電極という3つの電極を持ち、ソース電極とゲート電極の間に印加する電圧に応じて、ソース電極とドレイン電極の間に流れる電流が変化する。
- エッジデバイス
- スマートフォンやスマートウォッチなど、情報処理ネットワークの末端で動作する情報処理装置の総称。携帯性やどこでも使えるという性質を持たせるために、小型化や低消費電力化が求められる。
- 生成AI
- 深層学習というアルゴリズムを利用して、文章や画像、音声などを情報処理装置が自ら生成するプログラムの総称。代表的なものにOpenAI社のChatGPTなどがある。
- クラウド
- インターネットに接続された、スーパーコンピューターなど大規模な情報処理装置。ユーザーは、自身の端末からクラウドに必要な情報を送り、クラウドから情報処理の結果を受け取ることで情報処理を行う。
- 膜電位、リーク積分、リーク積分発火
- 生体細胞において、細胞膜によって隔てられた内外の電位の差のことを膜電位という。リーク積分はニューロンに入力が与えられたときの膜電位の振る舞いを形式化したモデルの1つ。膜電位は、入力が与えられている間はそれを積算するように増加していき(積分動作)、入力が与えられていないときはゆっくりと減少していく(リーク動作)。リーク積分が繰り返されて膜電位がある閾値に達すると、発火と呼ばれる動作で、パルス状の信号を発生する(リーク積分発火)。
- 酸素欠損イオン
- 開発したトランジスタに用いたチタン酸ストロンチウムは、酸素やチタン、ストロンチウムといった原子が規則的に並んだ結晶と呼ばれる構造を持つ。実際には、結晶中で酸素原子が抜けた穴ができてしまうことがあり、これを酸素欠損という。結晶中の原子が入れ替わることで、酸素欠損は結晶中を動き回ることができる。チタン酸ストロンチウム中では、酸素欠損は正の電荷を持ったイオンとして振る舞う。
- 有限要素法
- 物理量の空間分布を算出する数値計算手法。空間を多数の要素に区切り、各要素が従う方程式の解を数値的に求めることによって空間分布が得られる。
- シナプス
- ニューロンとニューロンの間で情報伝達を担う生体神経組織。一方のニューロンが発火すると、シナプス中で化学物質のやり取りが行われることで、他方のニューロンに情報が伝えられる。
- リザバー計算
- 水の波紋やランダムに接続されたニューラルネットワークなど、ランダムな系の経時変化を利用して時系列データの演算を行う情報処理方法。入力信号は系の経時変化に変換され、その系から抽出した複数の異なる時間発展を適当な割合で足し合わせることで出力を得る。
- 環境発電
- 室温や振動、廃熱など、これまでは利用することが難しかった微少なエネルギーで発電すること。
お問い合わせ先
研究に関すること
- 国立研究開発法人 産業技術総合研究所
- 電子光基礎技術研究部門 強相関エレクトロニクスグループ
- 研究員 井上 悠
- 〒305-8565 茨城県つくば市東1-1-1 中央第5
- hisashi.inoue[at]aist.go.jp
- 上級主任研究員 井上 公
- 〒305-8565 茨城県つくば市東1-1-1 中央第5
- i.inoue[at]aist.go.jp
- 名古屋工業大学
- 情報工学類 教授 田中 剛平
- tanaka.gouhei[at]nitech.ac.jp
JST事業に関すること
- 国立研究開発法人科学技術振興機構
- 戦略研究推進部 ICTグループ
- 前田 さち子
- 〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K's五番町
- crest[at]jst.go.jp
広報に関すること
- 国立大学法人名古屋工業大学 企画広報課
- TEL: 052-735-5647
- E-mail: pr[at]adm.nitech.ac.jp
*それぞれ[at]を@に置換してください。
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