ペンタフルオロエタンからテトラフルオロエチレンの室温合成に成功 ―フルオロプラスチック製造の革命的進展に期待―
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カテゴリ:プレスリリース|2025年5月14日掲載
発表のポイント
〇 ペンタフルオロエタン(HFC-125)から先端産業を支える基盤材料であるテトラフルオロエチレン(TFE)を室温下・高効率で製造することに成功
〇 温室効果ガス削減と有効資源化、エネルギー消費削減を同時に実現
〇 簡便操作・スケールアップ可能なプロセスを確立
概要
名古屋工業大学の岩﨑皓斗氏(大学院工学研究科共同ナノメディシン科学専攻2年)と、柴田哲男教授(生命・応用化学類)らの研究グループは、ペンタフルオロエタン(HFC-125, CF₃CF₂H)から、フルオロプラスチックス製造の基本原料であるテトラフルオロエチレン(TFE)を室温下で効率的に合成することに成功しました。
TFEは、世界的に知られる耐熱・耐薬品性樹脂「テフロン(PTFE)」や、フッ素化エチレンプロピレン(FEP)、エチレン・テトラフルオロエチレン共重合体(ETFE)など、最先端分野で広く用いられるフッ素ポリマー(フルオロプラスチックス)の基盤をなす極めて重要な化合物です。TFEは、ハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)の一種であるクロロジフルオロメタン(HCFC-22, R-22)の高温熱分解によって製造されていますが、その過程で大量のエネルギーを必要とします。一方、HFC-125は、クロロフルオロカーボン(CFC)やHCFCに代わる冷媒や消火剤として広く利用されている代替フロンの一種であり、オゾン層を破壊するリスクは低いものですが、更なる環境負荷の低減を目指した様々な開発が行われています。
本研究では、HFC-125を室温かつ副生成物なしでTFEに効率よく変換する画期的な手法を確立しました。今回開発したプロセスは高収率かつ簡便で、フルオロプラスチックス製造技術を革新する可能性があります。
本成果は、国際学術誌「iScience」のオンライン速報版に、2025年5月3日付で掲載されました。
研究の背景
ハイドロフルオロカーボン(HFCs)は、かつてオゾン層破壊問題への対応のため、クロロフルオロカーボン(CFCs)やハイドロクロロフルオロカーボン(HCFCs)に代わる冷媒や消火剤として広く普及しました。しかし、HFCsもまた、二酸化炭素(CO₂)の数百倍から数万倍に相当する温室効果を持つことが判明しました。これを受け、2016年に採択された「キガリ改正」(モントリオール議定書(*1)の改正)により、HFCsの生産・消費は国際的に段階的削減が義務づけられています。
現在、HFCsの分解処理は主に高温熱分解によって行われていますが、エネルギーコストが高く、十分な効率ではありません。さらに、大量に保管されている未使用HFCsを資源として捉え、有効活用を図ることは、資源循環の観点からも重要であり、そのための効果的かつ持続可能な再利用技術の開発が必要とされています。
一方、フッ素ポリマーは、耐熱性・耐薬品性・絶縁性・耐候性といった優れた特性を活かし、自動車、半導体、宇宙開発、医療分野など幅広い産業を支える重要な材料となっています。これらのフッ素ポリマーの基盤原料がTFEです。TFEは、クロロジフルオロメタン(R-22)の熱分解によって生成するジフルオロカルベン(:CF₂)(*2)の二量化反応を利用して製造されていますが、この方法では有害な塩酸(HCl)やペルフルオロイソブテン(PFIB)(*3)といった副生成物が発生します。また、TFE自体も高い爆発性を持つことにより、長距離輸送が困難で現地製造が必要なため、学術研究用途での利用拡大が進まない理由となっています。
こうした状況を背景に、安定・安価で取り扱いやすいHFC-125を原料とし、簡便かつクリーンにTFEを製造する技術の開発は、環境負荷低減と産業・学術界双方のニーズを同時に満たす、極めて魅力的なアプローチといえます。
研究の内容
冷媒や消火剤として広く使用されているHFC-125は、極めて高い安定性を持つ化合物で、原料物質としての化学変換や分解は容易ではありません。柴田教授らの研究グループは、数年前からHFC-125に着目し、有用な有機合成原料へと変換する技術開発に取り組み、HFC-125を強塩基で処理してペンタフルオロエチルアニオン(CF₃CF₂⁻)を発生させ、グリム系エーテル溶媒中でこれを安定化する手法を確立し、この安定化アニオンを利用し、医薬品や農薬の合成に応用可能なペンタフルオロエチル基導入反応を実現してきました。今回の研究では、この生成アニオンを選択的に分解させることでTFEを合成する新たな戦略を提案したもので、理論的には、ペンタフルオロエチルアニオンの分解には以下二つの経路が考えられます(図1)。
• 経路A:β-フッ素脱離(*4)により、フッ化物イオン(F⁻)とTFEを直接生成する経路
• 経路B:ジフルオロカルベン(:CF₂)とトリフルオロメチルアニオン(CF₃⁻)を生成する経路(最終的に二量化でTFEを形成)

いずれの経路でもTFE生成が期待され、副生成物を極力抑えた高効率な反応を目指して条件検討を進めました。その結果、HFC-125をトルエン中で、かさ高い構造を持つカリウム塩基KHMDS(ヘキサメチルジシラザイドカリウム)と低温下で処理することで、副生成物なしに高効率でTFEへと変換することに成功しました(図2)。さらに密度汎関数理論(DFT)計算(*5)により、実際には負の超共役効果(*6)に基づいた、「経路A(β-フッ素脱離)」が主要経路であることが明らかになりました。
また、開発した手法を連続フローシステムに応用し、室温条件でHFC-125を定量的にTFEへ変換できる技術を確立しました(図3)。このフロー法は並列化や連続運転によってスケールアップが容易であり、工業利用に向けた大きな可能性を示しています。加えて、生成するフッ化カリウム(KF)は容易に回収可能で、資源循環型プロセスとしても優れています。


TFEは高い爆発性を有するため、長距離輸送が極めて困難であり、現地での製造・使用が求められています。このため、学術研究や応用開発においてTFEの活用範囲は限定されてきました。
本研究では、今回開発した簡便な手法により得られたTFEをそのまま用いて各種化学反応を実施し、TFEの応用可能性を検証しました。具体的には、TFEに対してチオール類、アミン類、アルコール類を付加させ、対応する付加体を高収率で得ることに成功しました。また、Grignard試薬との反応では、1つのフッ素原子が脱離し、トリフルオロビニル基を有する生成物を得ることができました。さらに、ピリジン骨格にSF₄Cl基を有する化合物とラジカル付加反応を行い、SF₄部位と塩素原子の間にCF₂CF₂基が導入された新規ピリジン-SF₄-CF₂CF₂Cl化合物を合成しました。加えて、ラジカル重合条件下でTFEを重合させ、小スケールでのポリテトラフルオロエチレン(PTFE)の合成にも成功しました。これらの結果は、本手法で得たTFEの実用性を強く裏付ける成果となりました(図4)。

社会的な意義
本研究で開発した、HFC-125からTFEを室温かつ高効率で合成する技術は、地球規模で求められている持続可能な化学プロセス実現に向けた大きな一歩となります。HFC-125は、CFCやHCFCに代わる冷媒として普及したものの、近年では温室効果ガスとして段階的な削減が義務付けられています。本技術は、削減にともなう廃棄物質(HFC-125)を有効な未使用資源と捉え、逆に高付加価値な工業原料(TFE)へと変換する道を拓くものであり、「廃棄物から資源へ」というサーキュラーエコノミー(循環型社会)構築(*7)に貢献します。さらに、従来のTFE製造に伴う高温プロセスや副生成物(塩酸、ペルフルオロイソブテンなど)の問題を回避できるため、エネルギー消費削減の点からも、極めて大きな意義を持っています。
本研究成果は、温室効果ガス削減、フッ素資源の有効利用という、現代社会が直面する二つの大きな課題に対し、統合的な解決策を提示するものです。
今後の展望
今後は、本技術のさらなるスケールアップと工業化に向けた検討を進めるとともに、他のHFC類や広範なフッ素化合物類への応用可能性についても探索が進められます。特に、連続フロー合成技術との組み合わせによって、大量のHFC-125を安定かつ安全に処理できるシステム構築が期待されます。また、得られたTFEを起点とする新しいフッ素ポリマーや高機能材料の開発も視野に入れ、学術研究と産業応用の両面から積極的に展開される予定です。
さらに、今回示した「選択的アニオン生成と制御分解」というコンセプトは、HFC-125に限らず、その他のフッ素化合物へも応用展開できると考えられます。将来的には、より広範な環境浄化技術や資源循環技術へと発展させ、持続可能な社会の実現に向けたフッ素化学分野の新たな潮流を切り拓くことが目指されます。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)研究領域「分解・劣化・安定化の精密材料科学」(研究総括:高原淳(九州大学 ネガティブエミッションテクノロジー研究センター 特任教授))における研究課題「フッ素循環社会を実現するフッ素材料の精密分解」(研究代表者:柴田哲男)(課題番号JPMJCR21L1)、元島栖二博士 (CMC総合研究所) およびダイキン工業株式会社の支援を受けて実施しました。
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論文情報
論文名: Repurposing HFC-125 to tetrafluoroethylene: A step toward a more sustainable fluoropolymer feedstock strategy
著者名: Hiroto Iwasaki, Naoyuki Hoshiya, Yosuke Kishikawa, Jorge Escorihuela, Norio Shibata*
*責任著者
掲載誌: iScience
公表日: 2025年5月3日
DOI: 10.1016/j.isci.2025.112580
URL: https://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(25)00841-7
用語解説
(*1)モントリオール議定書
オゾン層保護のためのウィーン条約に基づき、オゾン層を破壊するおそれのある物質を測定し、製造、消費および貿易を規制することを目的とした国際環境保護条約。1987年に採択され、正式名称は「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」。この議定書によってオゾン層破壊物質は、現在ではほぼ全廃となり、オゾンホールの拡大もみられなくなるといった成果をあげた。キガリ改正によって、新たに温室効果ガスであるハイドロフルオロカーボン(HFCs)が規制対象となった。
(*2)ジフルオロカルベン(:CF2)
化学反応における活性種の一種で、2つの非結合電子対を持つ中性分子です。非常に反応性の高い化学種であり、求電子的な振る舞いをするカルベン種。二量化によるTFEの生成やアルケンとの反応によるシクロプロパン化または、フッ素導入反応に利用される。
(*3)ペルフルオロイソブテン
フルオロカーボンの一種であり、フッ素の電子求引性により、強力な求電子剤として作用する。ホスゲンの約10倍の毒性を持ち、吸入により肺水腫を引き起こす恐れがある。化学兵器禁止条約の対象物質である。
(*4)β-フッ素脱離
β位のフッ素が脱離し、C=C二重結合を形成する脱離反応。強力なC-F結合によって、他の水素や塩素などのβ脱離反応と比較して起こりにくい反応なため、通常は遷移金属の存在が必要なことが多い。
(*5)密度汎関数理論(DFT)計算
量子力学に基づいた計算手法の一つである。原子や分子内の電子密度の分布をもとに、化学反応や物性を予測することができる。
(*6)負の超共役
電子の非局在化現象を説明する概念で、通常の超共役とは逆の現象のことを指す。通常の超共役はσ結合から隣接するp軌道やπ*軌道へ電子が供与されることで、電子が非局在化して安定化される。一方で、負の超共役は、π軌道や孤立電子対から、隣接するσ*軌道(反結合性軌道)へ電子が引き抜かれることで非局在化する。例えば、ペンタフルオロエチルアニオンは、炭素上に孤立電子対を持つが、フッ素の強い電気陰性度により電子が引っ張られ、C-F結合のσ*軌道へと電子が流れて非局在化する。これにより、C-F結合が一時的に弱まり、フッ化物イオンとして脱離し分解が起こる。
(*7)サーキュラーエコノミー
従来の3R(リデュース・リユース・リサイクル)に加え、廃棄物に付加価値を加えて別の資源とすることで、廃棄物や新しい資源の利用を最小限に抑える循環型経済システム。製造の段階から再利用やリサイクルを行うことを前提に設計し、廃棄物と汚染物の発生を抑制する。これまでの「生産・消費・廃棄」という一方通行のリニア(直線型)経済とは対極にあり、持続可能な社会への転換に大きく貢献する。
お問い合わせ先
研究に関すること
名古屋工業大学 生命・応用化学類
教授 柴田 哲男
TEL: 052-735-7543
E-mail: nozshiba[at]nitech.ac.jp
広報に関すること
名古屋工業大学 企画広報課
TEL: 052-735-5647
E-mail: pr[at]adm.nitech.ac.jp
*それぞれ[at]を@に置換してください。
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