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サリドマイドパラドックスを説明 ~鏡像異性体を持つ医薬品の使用に警鐘~

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カテゴリ:プレスリリース|2018年11月20日掲載


 皮肉なことに,1950年代,胎児に重篤な四肢奇形を起こした薬学史上最悪のくすりであるサリドマイドは,今では世界のがん患者を救う希望のくすりです。ただし,サリドマイドが持つ催奇形性は消えたわけではありません。サリドマイドには右手型と左手型の鏡像異性体が存在します。このうち,左手型にのみ催奇形性があると報告されています。しかし,サリドマイドは右手型であろうが左手型であろうが,からだの中でそれらの平衡混合物になるため,実際にはどちらを使用しても同じ結果になるはずです。この矛盾「サリドマイドパラドックス」は,これまで説明することが出来ませんでした。柴田哲男教授らは,生体内自己不均一化現象を用いてこのパラドックスを説明することに成功しました。この成果は,安全なサリドマイドの開発研究を進めるうえで大きな弾みになると期待出来るだけでなく,鏡像異性体の存在する医薬品の扱いに警鐘を鳴らすことになると考えます。
 本研究成果は,2018年11月20日(日本時間19時)に科学誌「Scientific Reports」のオンライン速報版で公開されます(www.nature.com/articles/s41598-018-35457-6)。

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背 景

 サリドマイドは,1950年代後半に四肢奇形という悲劇的薬害を引き起こしたくすりです。当時,サリドマイドは我が国ではイソミンという名称で睡眠薬/鎮静薬として処方されました。妊娠中の女性には対しては,つわりの軽減に効果的なくすりとして一般に広まっていきました。ところが数年後,それまでほとんど知られていなかった手足に重篤な障害(四肢奇形)を持つ新生児の報告が相次ぎました。その後,この原因物質がサリドマイドであることが特定され,サリドマイドの使用が禁止されました。しかし,皮肉なことにサリドマイドは,ハンセン病,エイズ,免疫不全症候群などの多様な疾患治療薬になることが,その後の研究で次々と明らかとなっていきました。現在,サリドマイドは世界各国で再認可され,多発性骨髄腫や重度のらい性結節性紅斑の治療薬として新商標THALOMID®(日本名サレド®カプセル)として発売されています。
 サリドマイドの化学構造には,一つの不斉炭素原子があります。そのため,アミノ酸と同じように,右手型(D体,R体)と左手型(L体,S体)の鏡像異性体が存在します。1979年,ミュンスター大学のBlaschke教授らは,独自に開発した光学異性体分離カラムクロマトグラフィーを用いて鏡像異性体を分離し,それぞれによる動物実験を行いました。その結果,サリドマイドの左手型鏡像異性体にのみ催奇形性が観察され,右手型鏡像異性体は奇形を誘発しないという実験結果を得ました(引用文献1,図1)。この報告は医薬品開発における鏡像異性体の薬効の差異を認識させる重要な論文となり,鏡像異性体の片方のみを選択的につくる技術「不斉合成」の発展に大きく寄与しました。

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図1. サリドマイドには生理作用の異なる左手型および右手型の鏡像異性体が存在する

 Blaschke教授らの報告により,催奇形性のない右手型鏡像異性体のみを医薬品に用いていれば,薬害を回避出来たという認識が浸透しました。ところが,1990年代になってサリドマイド研究が再び盛んに行われるようになると,新しい事実がわかってきました。サリドマイドの鏡像異性体は私たちのからだの中で容易にラセミ化して,右手型および左手型の平衡混合物に変化するということです(引用文献2)。つまり,安全な右手型サリドマイドを用いても体内でラセミ化するため,薬害は回避出来なかったと推察されます。現在,サリドマイド「THALOMID®,サレド®」が,右手型ではなく,左手型鏡像異性体との混合物「ラセミ体」で発売されている理由のひとつはここにあります。

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図2.サリドマイドは体内で右手型および左手型の鏡像異性体の等量混合物へと変化する

研究内容

 ここで一つの矛盾が生じます。サリドマイドは体内でラセミ化するわけですから,右手型と左手型で異なる動物実験結果を与えることは考えにくく,Blaschke教授らの実験報告と矛盾します。Blaschke教授らの実験は40年経過した今でも説明することが出来ず,その真偽のほどはわからないままです(引用文献3)。
 Blaschke教授らの実験では,どうして右手型サリドマイドに,奇形性誘発が見られなかったのでしょうか。柴田教授らは長年にわたりサリドマイドの研究を粘り強く続け(引用文献4,5),今回,この矛盾「サリドマイドパラドックス」を,サリドマイド鏡像異性体の自己不均一化現象が私たちのからだの中で起こると仮定すれば説明出来ることに気がつきました。仮説は下記のようになります。
 まず,からだのなかで,右手型サリドマイド(図3a)は左手型サリドマイドとの等量混合物,即ち,ラセミ体へと徐々に変化しはじめます。その結果,光学純度の低い右手型サリドマイド(図3b)となります。この光学純度の低い右手型サリドマイドは自己不均一化を開始するのです。自己不均一化とは,同一種類の分子が互いに作用し合い,二種類以上の異なる分子に変わる現象をいいます。ここでは,右手型サリドマイドからラセミ化して生じた左手型サリドマイドは,速やかに右手型サリドマイドとの1:1の二量体構造を作ります(図3c)。この二量体サリドマイド(ラセミ体)は,純粋な右手型サリドマイドに比べ,構造的に安定で,また,溶解性が極めて低いのです。そのため二量体サリドマイド(ラセミ体)は溶液中(血液中)から追い出され,吸収されなくなります。一方,純粋な右手型サリドマイド(図3d)は血液中に残ります。そしてそのまま吸収され通常の代謝経路へと進むと考えたのです。

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図3.仮説:右手型鏡像異性体は生体内で徐々にラセミ化し(aからb),さらに自己不均一化してラセミ体と右手型鏡像異性体に分離する(bからcおよびbからd)。ここでラセミ体は吸収されないか,あるいは吸収が極めて遅いのに対して(c),右手型鏡像異性体は速やかに吸収し代謝経路へと取り込まれる(d)

 柴田教授らはこの仮説に基づき,一部ラセミ化した様々な光学純度の右手型サリドマイドを用いて,自己不均一化現象が起こるか調べました。その結果,水や緩衝液中では1時間も経たないうちに,ラセミ体の結晶部分と光学純度の高い(98% ee)右手型サリドマイドの溶液部に分離する自己不均一化現象を観察しました。さらにこの実験を何度も繰り返し,生体内でも自己不均一化現象が起こっている可能性が高いことを示す結果を得ることが出来ました。溶解度調査の結果,ラセミ体サリドマイドは右手型サリドマイドよりも5倍以上も溶解性が低いことがわかり,また,X線結晶構造解析(引用文献6)の結果と組み合わせ,サリドマイドが生体内で自己不均一化現象を起こすという仮説を裏付けることが出来ました。
 この研究成果は,長年疑問が投げかけられていたBlaschke教授らの研究報告の妥当性を強く支持するものです。また,これに先駆けて箱嶋(奈良先端科学技術大学院大学),半田(東京医科大学)らと共に報告した「左手型サリドマイド奇形説の分子レベルでの決着」(引用文献5)と合わせ,半世紀にわたりくすぶり続けていたサリドマイドにまつわる疑問(引用文献2)の全てが明らかになったといえます。今後,安全なサリドマイド型医薬品開発の大きな弾みになると期待出来ます。

おわりに

 生体内自己不均一化現象は,サリドマイドのみならず,様々な医薬品にも起こり得る可能性は否定出来ません。私たちは,鏡像異性体の存在する医薬品を扱う際は,一層の注意が必要であると考えます。

本研究は,日本学術振興会科学研究費基盤研究S,公益財団法人武田科学振興財団等の支援を受けて実施しました。
本研究成果は,2018年11月20日に科学誌「Scientific Reports」のオンライン速報版で公開されます。

引用文献
1)Blaschke, V. G. et al. Arzneim.-Forsch. 29, 1640-1642 (1979).
2)Winter, W. and Frankus E., Lancet, 339, 365 (1992).
3)橋本祐一,ファルマシア,39, 315 (2003).
4)Tokunaga E. et al. PLoS ONE 12(8): e0182152 (2017);名古屋工業大学プレスリリース/ラセミ化しないサリドマイドの開発~フッ素が拓く創薬~(2017年8月01日).
5)Mori, T. et al. Scientific Reports, 8, 1294 (2018); 名古屋工業大学プレスリリース/サリドマイドの催奇形性問題を分子レベルで解明-40年間の謎に終止符-(2018年2月20日).
6)Maeno, M. et al. Chemical Science, 6, 1043-1048 (2015).

発表論文情報
論文名:Understanding the Thalidomide Chirality in Biological Processes by the Self-disproportionation of Enantiomers
発表雑誌:Scientific Reports, 2018. DOI: 10.1038/s41598-018-35457-6
URL: www.nature.com/articles/s41598-018-35457-6
著者:Etsuko Tokunaga, Takeshi Yamamoto, Emi Ito and Norio Shibata *(*責任著者)

お問い合わせ先

研究に関すること

名古屋工業大学大学院工学研究科
教授 柴田哲男
Tel: 052-735-7543
E-mail: nozshiba[at]nitech.ac.jp

広報に関すること

名古屋工業大学企画広報課
Tel: 052-735-5647
E-mail: pr[at]adm.nitech.ac.jp

*それぞれ[at]を@に置換してください。


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