PFAS問題に挑むフッ素化学最前線 ―「含窒素フッ素官能基」に基づく次世代フッ素化合物の設計指針の提案―
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カテゴリ:プレスリリース|2025年5月12日掲載
発表のポイント
〇 含窒素フッ素官能基を持つ有機化合物を調査した包括的な総説論文の発表
〇 合成試薬・触媒・医薬・農薬・材料分野への幅広い応用性を示唆
〇 PFAS問題に対応する新たなアプローチを提案
概要
名古屋工業大学 生命・応用化学類のJun Zhou特任助教(研究当時)、柴田哲男教授らの研究グループは、中国科学院上海有機化学研究所、東華大学、深圳大学の研究者らと共に、窒素原子とフッ素官能基が直接結合する「含窒素フッ素官能基」に焦点を当てた、世界初となる包括的な総説論文を発表しました。本論文は、1148件に及ぶ文献情報をもとに、関連する化合物群の合成手法から、反応性、応用例、環境への応答性までを体系的に整理したものです。
論文は、深刻化するPFAS(*1)問題への対策として、「分解可能なフッ素化合物」(*2)という新たな設計コンセプトを提案し、次世代フッ素化合物開発における指針を示す内容となっています。電子材料、医薬品、農薬分野のみならず、広くPFASに関連した分野で活動する学術界および産業界の研究者における分子設計の重要指針になることが期待されます。
本論文は、米国化学会国際学術誌「Chemical Reviews」のオンライン速報版に、2025年4月22日付で掲載されました。
背景:PFAS問題とフッ素化合物研究の新たな局面
フッ素を含む有機化合物は、医薬品、農薬、電子材料、フッ素樹脂など、多岐にわたる分野で不可欠な役割を果たしています。しかし、その高い安定性から環境中での分解が極めて困難であり、いわゆるPFAS(ペルフルオロアルキル・ポリフルオロアルキル物質)汚染が世界的な問題となっています。
特に、人体や生態系への長期的蓄積による影響が懸念されており、分解可能かつ機能性を兼ね備えた新たなフッ素化合物の開発が喫緊の課題となっています。
研究論文の概要:「含窒素フッ素官能基」に基づく新しい分子設計
PFASの安定性や堅牢性の高さには、炭素フッ素結合の高い安定性が起因しています。この点に着目し、柴田教授らはこれまでに「分解可能なフッ素化合物」の開発研究を追考しています(*2)。
今回の総説論文「Nitrogen-Based Organofluorine Functional Molecules: Synthesis and Applications」は、窒素(N)とフッ素(F)官能基が創り出す「含窒素フッ素官能基」をキーワードに、これまで報告されてきた多種多様な化合物群を網羅的に整理したもので、162ページに及び上記の化合物の合成化学・応用化学・環境化学の観点から包括的にまとめました。主な内容は、以下のとおりです。
1.分類と定義:N-F結合、N-CF₃結合、N-SRF(硫黄含有型)、N-ORF(酸素含有型)など、フッ素官能基の種類に基づく分類
2.合成手法と反応性:各種含窒素フッ素官能基化合物の合成方法、構造と反応性の相関、触媒反応・ラジカル反応などの展開
3.応用例:医薬品(ラスクフロキサシン、イボシデニブなど)、農薬(フルベンジミン、トリアファモンなど)、有機触媒(窒素-フッ素含有有機触媒)
4.環境適応性:N-FやN-CF₃構造は、従来型PFASのC-C-F結合に比べて、超共役効果により分解性が高い可能性があることを指摘
科学的・社会的意義
含窒素フッ素官能基を持つ化合物群は、これまで、強力なフッ素化試薬、フルオロアルキル化試薬、フルオロアルキルアミノ化試薬、フルオロアルキルチオ化試薬、フルオロスルホニル化試薬、フルオロアルキルスルホニル化試薬、フルオロアルコキシル化試薬として、幅広く研究されてきました。これらの試薬は、一般に安定で取り扱いが容易で、製造コストも低いという利点を持っています。また、含窒素フッ素化合物型試薬の反応性や選択性は、分子構造を調整することで自在に制御できるため、有機合成において多用途なツールとして広く拡張活用されています。例えば、古典的な求電子フッ素化試薬であるN-フルオロベンゼンスルホンイミド(NFSI)は、近年ではアミノ化剤、スルホニル化剤、さらには酸化剤としても高い有効性を発揮しています。加えて、合成素子や触媒としての用途においても注目を集めています。
窒素は生体内における必須元素であり、天然物や生理活性分子、さらには機能性材料においても重要な役割を担っています。そこにフッ素含有基を組み合わせることで、代謝安定性の向上や血液脳関門透過性の改善といった、特有の機能が付与されます。このため、含窒素フッ素化合物は、現在市販されている医薬品や農薬にも広く利用されています。
ただし、本研究の意義は、こうした既存知見の整理のみでなく、含窒素フッ素官能基が示す制御可能な反応性に注目し、これまで医薬・農薬分野にとどまっていた応用をさらに発展させ、「分解可能なフッ素化合物」の設計という新たな方向性を提示した点にあります。この考え方により、環境負荷の低減が期待される新たな触媒や機能性材料の開発も視野に入れることができ、PFAS規制に該当しない環境に優しい触媒・材料科学分野への貢献も大いに期待されます。
今後の展望
柴田教授らは、今回の総説を出発点として、環境分解性を備えた新しいフッ素化合物の創出、グリーンケミストリー原則に基づく合成プロセス開発、医薬・農薬・材料分野への実用展開を目指し、持続可能なフッ素化学の革新の推進が期待されます。
柴田教授のコメント
本論文の著者には、名古屋工業大学出身者が含まれています。Jun Zhou博士(2023年度特任助教、2020年博士号取得、現在、中国科学院福建物質結構研究所)、Guo-Kai Liu博士(2013年博士号取得、現在、深圳大学)、およびXiu-Hua Xu博士(2010年〜2013年日本学術振興会外国人特別研究員、現在、中国科学院上海有機化学研究所)がそれにあたり、いずれも当研究室における研究活動を経て現在に至ります。本成果は、名古屋工業大学における国際人材育成と国際的研究ネットワークの成果の一つでもあり、名古屋工業大学の強みといえます。
論文情報
論文名:Nitrogen-Based Organofluorine Functional Molecules: Synthesis and Applications
著者名:Shuai Liu, Jun Zhou, Lu Yu, Yingle Liu, Yangen Huang,* Yao Ouyang,* Guo-Kai Liu,* Xiu-Hua Xu,* Norio Shibata* *責任著者
掲載誌:Chemical Reviews
公開日:2025年4月22日
DOI:doi.org/10.1021/acs.chemrev.4c00661
URL:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.chemrev.4c00661
用語解説
(*1)PFAS
Per- and Polyfluoroalkyl Substances(ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物)の略称。熱、水、油に強いという特徴を活かし、焦げ付きにくい調理器具、食品包装、汚れにくい布地など様々な製品に使用されている。また、ペルフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)、ペルフルオロオクタン酸(PFOA)、ペルフルオロヘキサンスルホン酸(PFHxS)は発がん性などの健康被害の可能性が報告され、特定PFASとして規制対象となっている。
(*2)分解可能なフッ素化合物
「SF4アセチレンの画期的な合成に成功― PFAS規制対象外の環境に優しい有機フッ素化合物―」(2024年1月4日)
「環境に配慮したフッ化ビニル合成に成功 ― PFAS規制対象外の有望な代替品の開発―」(2024年1月15日)
「ジフルオロ(トリフルオロメトキシ)メチル化合物の合成 ―持続可能な社会に向けた材料開発に期待―」(2025年1月17日)
「ペルフルオロアルキルエーテルの簡便合成に成功 ―環境に優しい材料開発に期待―」(2024年5月22日)
お問い合わせ先
研究に関すること
名古屋工業大学 生命・応用化学類
教授 柴田 哲男
TEL: 052-735-7543
E-mail: nozshiba[at]nitech.ac.jp
広報に関すること
名古屋工業大学 企画広報課
TEL: 052-735-5647
E-mail: pr[at]adm.nitech.ac.jp
*それぞれ[at]を@に置換してください。
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